山内壮夫『母のひざ』(1964) 設置場所:真締川公園東
「彫刻のまち宇部へ」宇部の彫刻展は先駆的な役割を果たしただけでなく、
後続都市が事業を終えたあとも、なお連綿と続く数少ない事例のひとつである。
1960年代初頭、当時世界一といわれた煤塵公害や暴力団抗争、
少年非行などで荒れる街に「明るさ」と「安らぎ」をもたらすべく、
まず緑化運動、花いっぱい運動が展開され、さらに、
宇部新川駅前へのレプリカ彫刻設置をきっかけに、
本物の彫刻を設置しようとするとする機運が高まり、宇部を彫刻で飾る運動が起こった。
「彫刻のまち宇部」への道のりはそこから始まったのである。
炭田からはじまって、セメント産業や化学工業で発展してきた宇部が、
都市環境の荒廃という近代産業の負の部分に向き合うために
拠りどころとしたのが、「みどり」と「彫刻」だったのである。
彫刻設置の歴史的意義とは別に、
実際の作品がどのように設置され、どのように公共空間を形成しているか
という点から見てみる必要もある。
設置場所との関係性という点からみると、成功している例ばかりとは
いえないからである。
場所との関係性に乏しい作品の場合、物理的な空間の広がり以上に
窮屈な感じ、あるいは邪魔な感じを与える可能性がある。
作品のスケールが小さい場合、障害にならないものの、とくに目立つわけでもなく、
文字通り「邪魔にならない」程度のものにしかならないことも多い。
街や公共空間の『場』としての性格や意味を読み取り、そこに一回的な出会いを実現することが、
パブリックアートの設置においては重要ではないだろうか。
引用:パブリックアートの現在 屋外彫刻からアートプロジェクト 柳澤有吾著 かもがわ出版